「植物を活かす」シンポジウムに失望

日本学術会議主催の「植物を活かすー植物を利用したグリーンイノベーションに向けてー」に出席してきた。
最近の事業仕分けで仕分け対象にされたり、政府の言う「グリーンイノベーション」というコンセプトの中に植物科学が含まれていないことにあせりを感じて、関連学会が集結してアピールを行うことになったようだ。

自分の古巣の分野であり、地中上のすべての命の源である植物はやはり最重要課題に違いない。いつか戻りたい。危機感をばねにして日本の植物科学も動き出すかと期待を持っていったが、あまりにがっかりな内容だった。日本の植物科学の重鎮となった人たちが集結して何を寝ぼけたことをしてるんだろう。がっかりを通り越してまだ怒りが収まらない。

企業からのニーズということで、企業側から植物に関連した話題を提供、それにマッチするような研究をしているアカデミアからの発表、そして、基礎研究のレベルの高さ、植物科学の重要性、研究環境のまずさを強調するという展開。

このシンポジウムの一番の勘違いと感じるところは、「社会の役に立つ」というのが、「応用研究をすること」と考えているところだ。そこで応用に近いところを研究している人がアカデミアの代表として発表をしたのだろう。
しかし企業の側からすれば、基礎研究者が応用研究らしきものをして商品らしきものを作ることには何の魅力も感じない。ちゃんと採算の取れるものであれば、企業はいくらでも資金を投入して事業化するだろう。そのためにはマーケットのサイズ、事業化の可能性、事業化の時期がわからなくてはならない。マーケットサイズはまあ計算可能、大企業が手がけるには事業化の可能性がまだ小さいのであれば、ベンチャー企業が開発のステージを進める。しかし、GMは栽培できない、(目に見える形では)売れない、という状況では日本で事業化は望めない。現実にはすでに糖や油、えさという形で日本の食卓は完全にGMに依存しているにもかかわらず。

基礎研究から応用研究の間の死の谷、事業化までのダーウィンの海をどうやって渡るか、みたいな話も合ったが、日本の植物科学はそれ以前だということがわからないのだろうか?死の谷を渡ろうが、ダーウィンの海を渡ろうが「日本で事実上GMが栽培できない」、「GMであることはっきり表示して売れない」以上、商売にならないではないか。どんなに開発のステージを進めても商売にならないものに企業のニーズがあるはずがない。

農家「北海道でGMの栽培が禁止されている。GMのHPが削除されている」
文部官僚「可能性を示すだけじゃだめで、ちゃんと道筋を示せなくてはならない」
「ゼロから1を産む研究と、1を100にする研究を区別すべき」
植物科学出身議員「植物科学に失望して議員になった。現場の役に立っていない」
外資メーカー「世界は広い」
こういった的を射た指摘に対して、

「アピール不足だったことを反省する」
「日本の植物科学のレベルは世界第2位」
「応用研究をするとアカデミアから評価されない現実がある」
「よい科学はいつの日か必ず実用化される。大切なのは熱意」
「外資が巨大な資金で橋をかけて前に、こっそり死の谷を下りてわたる」
、、、なんて勘違いだろう。

T先生は、農家の出身で農家が付加価値の高いものを作れるようにという思いから開発をしたのだという。しかし一般ほ場GMの栽培ができず、販売も医薬品扱いになってしまったら、農家には何の関係もないものになってしまっているではないか。

O先生、本当に世の中の役に立つのであれば、外資であろうがなんだろうが事業化してもらえばいいではないか。自分の研究成果を自分で独占したいがために資金不足を嘆きながら細々と研究をしているなんて自慢になると思ってるのだろうか?

オールジャパンとかオールニッポンとか変なことを言っているから世界第2位の技術しかできない。世界第2位の技術に価値があるのか?一番いいものを集めて一番いいものを作ればいいではないか。
アカデミアで評価されないって、あなた方が評価しているのではないか。教授や何々会長や何々理事長がそろいもそろって何を言っているのか?

「陸上の植物の光合成能力を5%あげることができれば、現在の生活でもCO2のバランスを保つことができる」
って、地球上の全植物を遺伝子組み換えにでもするつもりか?1%の植物しかいじれないとしたら光合成能力を500%もあげねばならないということか?

「Cd集積稲でほ場のCd濃度を減らすことができる」
一般ほじょうでCd集積稲を栽培できるのか?レメディエーションが終わったあと食用の稲を栽培していいのか?

企業側から期待する一番のことは、事業化の道筋をつけることだ。植物科学を事業化するにはGM植物を栽培できる環境、GM植物由来のものが売れる環境がなければいつまでたっても絵に書いたもちだ。そのためには、
1、安全性の確認。リスクの評価。
2、制度の不備の改善。GMの認可にかかる時間。表示問題。
3、一般市民のGMに対する偏見をなくすこと。ゼロリスクの誤解を解くこと。健全なリスク感覚の育成。

安全性や、リスク評価に関する研究こそアカデミアに期待したい。応用研究は企業がいくらでもできるが、企業側がした安全性やリスク評価は信用されにくい。
日本の風土の中でどのような条件で栽培するのが適切なのか、十分科学的な根拠を持って適切な規制ができれば、事業化への道筋がついて企業も投資することが可能になる。変な反対派に十分な根拠を持って反論できる。
逆にそういった評価ができないならばバイオマス用の植物やファイトレメディエーションの植物なんて絵に描いたもちではないか。
現状では法律上栽培可能でも、一部の反対派が大騒ぎして北海道のようにGMの栽培ができなくなってしまうようでは、とても事業計画を立てることはできない。
そして最終的に商品が売れるためには一般市民のGMに対する偏見がなくならないと、売れないし、ちょっとしたことで過剰な規制につながりかねない。

アカデミアのすべきは応用研究ではない。100個に一個目が出るようなシーズの提供、法整備の根拠となるような安全性の研究、中立的立場から科学的根拠に基づいた教育、啓蒙ではないか。

特許をとることが役に立つ研究をしているような風潮もおかしい。特許はあくまで独占使用をするためのもので、独占使用することで企業が安心して投資をできる、という状況であれば事業化を促進することになるが、事業のメインのドライブフォースではないが周辺で引っかかるかもしれないような特許がたくさんあると逆に事業化を阻害しかねない。本当に世の中の役に立てようとするのであれば、よほど具体的な事業性を持った研究成果以外は特許をとるべきではないことが多い。企業で行う研究であっても、何でもかんでも特許ではなく、特許をとったほうがいいのか、オープンにしたほうが産業を活性化して結果として利益が上がるのかを考えている。(考えていないところもあるだろうが)

せっかくいい指摘が、官僚、議員、農家、企業から出ているのにそれを無視して、せっかくのパネルディスカッションも自分のシナリオを押し付けるだけで時間切れで会場からの声を聞くこともない。
社会からのニーズを聞く、というポーズだけはとっているが、真剣にどうやったら自分たちの研究成果が世の中に還元されるのか考えることもなく、予算ください、の決起集会とはあまりに情けない。

N先生の小さな温室と中国の5階建ての巨大な隔離温室を比べて、何が言いたいのだ?中国は政府の方針でGM作物を作って実用化している。日本では栽培も販売もできないのに大きな温室作って何をする?

トレンドにのった研究をしていればインパクトファクターは稼げる。アメリカの研究室に居候して論文書いて日本でポジションとって、日本に戻ってアメリカのトレンドに敏感に乗る先生が学会を牛耳る。0>1、1>100の使い方が人によって違うが、ここではまったく新しいコンセプトを生むものが0>1、そのあとのトレンドができたあとの研究は基礎研究であっても1>100の研究と考える。アメリカでできた0>1がトレンドになるときにすかさず取り入れれば、フォロワーが引用してくれるからインパクトファクターは稼げる。だから0>1を生んだアメリカが1番で、そのあとに続いた日本が2番。でもアメリカのニーズで生まれた研究だから日本じゃ事業化できない。

だから日本の植物研究はシーズも生まなければ事業も生まない。ゲノム研究、ポストゲノム、プロテオーム、メタボローム、そして最近はバイオマス。自分が学生だった20年近くまえから研究内容は大して変わらないのに、看板だけかけかわってるという感じ。

ポジションを得る、研究費を得るためにはインパクトファクターの高い論文を書く必要がある。何のための研究か、ではなく研究者でいること自体が目的になっているようだ。まるで当選すること自体が目的化している議員たちのようだ。

まあ、シンポジウムの内容にあまりにがっかりして言い過ぎの面もあるだろうが、植物関連6学会が結集した結果がこれではあんまりだ。
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by hirommk | 2010-06-01 05:48 | a la carte | Comments(0)